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池田氏庭園洋館(秋田)

29件目は秋田県大仙市の個人住宅をご紹介します。


旧池田氏庭園洋館は、秋田県 大仙市 高梨字大嶋(地図)にある旧個人住宅で、鉄筋コンクリート造2階建ての建物は大正11(1922)年に建てられました。
秋田県内では最初の鉄筋コンクリート造建築ということですが、今村敬輔という設計者の詳細は不明です。

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池田家は、山形(酒田)の本間家、宮城(石巻)の斉藤家と並ぶ東北三大地主の一つで、この洋館は14代の池田文一郎によって建てられました。
池田家は、小作人を多く抱える大地主であったものの、病院の開設など地域貢献にも尽力し、この建物も個人住宅とは書いたものの、居住用ではなく、私設図書館として地域の青少年に開かれていました。
また、賓客も多く、迎賓施設としての機能も備えていました。

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この洋館は昭和40年頃から使われておらず荒廃していたようですが、敷地が平成16年に旧池田氏庭園として国の名勝に指定されたことから、平成18年から5年をかけて修復されました。
総工費は約2億8千万円で、国と現在の所有者である大仙市とで半額ずつ負担したそうです。

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by okuruma1970y | 2013-03-30 18:50 | 東北

黒羽根内科医院(群馬)

また少し空いてしまいましたが、25件目は群馬県伊勢崎市の病院兼住宅をご紹介します。


旧黒羽根内科医院は、群馬県 伊勢崎市 曲輪町(地図)にある病院兼住宅で、木造横羽目板張り2階建ての建物は明治45(1912)年に建てられました。
当初は、伊勢崎藩医の家系(娘婿)であった今村信四郎が、今村医院として同市本町に建てた後、戦後に黒羽根氏が購入して黒羽根内科医院となり、昭和59年まで使われていたそうです。

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その後、平成14年に伊勢崎市に寄贈され、本町から曲輪町まで100mほど曳き家(解体せず建物ごと移動させる工法)した上で、現在地で復元修理が行われました。
棟札から、設計技師:阿部石松、棟梁:藤丸兼吉、副棟梁:相崎倉吉によって建てられたことがわかっています。

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市民の公募により「いせさき明治館」と名付けられ、現在は街の拠点施設として利用されています。

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by okuruma1970y | 2012-03-20 14:06 | 関東甲信越

青木周蔵那須別邸(栃木)

24件目は栃木県那須塩原市の個人住宅をご紹介します。


旧青木周蔵那須別荘は、栃木県 那須塩原市 青木(地図)にある個人住宅(別荘)で、木造スレート貼り2階建ての建物は明治21(1888)年に建てられ、その後の増築を経て明治42(1909)年に現在の形になりました。
この那須別邸は、明治中期に伊藤博文を始めとした明治の元勲が開拓した農場の一つとして、青木周蔵が開いた青木農場内に建てられた別荘でした。

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青木周蔵は、ドイツ留学の後に外務省に入省し、駐独公使や外務大臣、駐米大使を務めた外交官で、留学や赴任を通してドイツと関係が深く、駐独公使在任中にドイツ貴族の令嬢・エリザベートと結婚したことなどから、ドイツ翁とも呼ばれていたそうです。
設計は、ドイツで建築を学んだ松ヶ崎萬長(まつがさき つむなが)で、公家の家系ということもあってか男爵も授与されていました(後に返上)。
松ヶ崎が設計した建物は、台湾の新竹駅舎など国外には現存しているものの、この那須別邸は国内に現存する唯一のものです。

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現在は国の重要文化財に指定され、当初の場所から50mほど移されて、道の駅「明治の森・黒磯」内で一般に公開されています。

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by okuruma1970y | 2012-01-29 11:23 | 関東甲信越

旧神谷伝兵衛稲毛別荘(千葉)

21件目は千葉県千葉市の個人住宅をご紹介します。


旧神谷伝兵衛稲毛別荘は、千葉県 千葉市 稲毛区 稲毛(地図)にある元個人住宅(別荘)で、鉄筋コンクリート造2階建ての建物は、大正7(1918)年に建てられました。
神谷伝兵衛氏は、シャトー・カミヤ(牛久シャトー)や神谷バーを経営していた実業家です。

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来賓用の別荘として、当初は稲毛の海岸段丘の縁に建てられたようですが、現在は海岸線が国道14号になり、遠浅だった海はその後埋め立てられて遥か遠くへ。
海を間近に見ていたはずのバルコニーは、5連アーチが円柱で支えられています。
扇状の階段は庭とバルコニーとをつなぐだけでなく、背後が海岸段丘で玄関が設けられないため、バルコニーに設けられた玄関へのエントランスも兼ねています。

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国の登録有形文化財に指定され、現在は千葉市民ギャラリー・いなげとして一般に公開されています。

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by okuruma1970y | 2011-11-20 21:18 | 関東甲信越

旧渡辺甚吉邸(東京)

またまた間が空いてしまいましたが、20件目は東京都港区の個人住宅をご紹介します。


旧渡辺甚吉邸は、東京都 港区 白金台(地図)にある元個人住宅で、木造2階建ての建物は、昭和9(1934)年に建てられました。
渡辺甚吉氏が、大学卒業後に建築家の遠藤健三氏を伴って訪欧し、イングランドで見たチューダー様式に強い印象を持って帰国し、京都の下村邸(大丸ヴィラ)を参考に新築したそうです。

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このお屋敷は、岐阜の実業家・渡辺甚吉氏の邸宅として昭和9年に建てられ、スリランカ大使館に使われた後、昨年(2010年)5月からハウスウエディング会場「白金甚夢迎賓館」として使われるようになりました。

ちなみにこのお屋敷を建てた渡辺甚吉氏(渡辺家12代目・1906〜1972年)は、岐阜の地方銀行・第十六銀行の初代頭取を務めた渡辺甚吉氏(渡辺家10代目・1856〜1925年)の孫ではないかと思われます。
名家・旧家ではよくあるのでしょうが、祖父と孫が同じ名前だったからか、大学卒業後に欧州周遊で見聞を広めて家を建てたという説明と、第十六銀行初代頭取の東京別邸という説明が、ごちゃ混ぜになっているようです。
岐阜新聞のHPに、第十六銀行と渡辺甚吉氏に関する記事がありました()。

チューダー様式というらしい、山小屋のようなというか手斧削り仕上げが特徴。

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by okuruma1970y | 2011-10-16 18:42 | 東京横浜

マッケンジー邸(静岡)

18件目は、静岡県静岡市の個人住宅をご紹介します。


旧マッケンジー邸は、静岡県 静岡市 駿河区 高松(地図)にある元個人住宅で、白い壁が映える木造2階建ての建物は、W.M.ヴォーリズの設計により、昭和15(1940)年に建てられました。
この西向きの面は、階段がある3階建ての塔屋を中心に、扇状の食堂や玄関部などの各要素をつなぎ合わせたような、にぎやかな構造です。

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貿易商社の日本支社に派遣されたマッケンジー氏の自邸として建てられ、マッケンジー氏の他界後も夫人が住み続けていましたが、昭和47年にアメリカに帰国するにあたり、静岡市に寄贈されました。
現在は静岡市が管理しており、旧マッケンジー邸として一般に公開されています。
建物の中心は階段部分になっており、1・2階間の踊り場に光を落とす長いアーチ窓と、3階相当部分にある4面に3つのアーチ窓が連なった塔屋が目を惹きます。

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by okuruma1970y | 2011-05-31 21:22 | 東海北陸

諸戸清六邸(三重)

14件目は、三重県の本格洋風建築をご紹介します。


旧諸戸清六邸は、三重県 桑名市 桑名(地図)にある本格洋風建築で、木造2階建てに4階建ての塔屋が付属した建物は、御雇い外国人として来日したジョサイア・コンドルによって、大正2(1913)年に建てられました。
広角レンズで撮ったため歪んでいますが、塔屋はまっすぐ建っています、念のため。

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山林経営で財を成した諸戸清六(二代目)が、連なる和館とともに自邸として建てた洋館です。
設計は、工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)の初代教授としてイギリスから招聘され、明治初期の社交場であった鹿鳴館を設計したことでも知られる、ジョサイア・コンドルによるものです。
国の重要文化財に指定されており、現在は六華苑の一部として一般に公開されています。

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モルタル塗りの外壁は、水色に塗られているのが珍しいですが、落ち着いた色味に仕上がっています。
ただですら複雑なレイアウトですが、スレート葺きの屋根は、屋根窓やマントルピースの煙突を戴いており、変化に富んだ構造になっています。

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by okuruma1970y | 2011-04-05 00:15 | 東海北陸

萬翠荘(愛媛)

8件目は、四国・愛媛県の本格洋風建築をご紹介します。


萬翠荘は、愛媛県 松山市 一番町(地図)にある本格洋風建築で、鉄筋コンクリート造り3階建ての建物は、大正11(1922)年に建てられました。

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陸軍武官としてフランス生活が長かった元藩主家の久松定謨(さだこと)伯爵が別邸として建て、大正11年に皇太子殿下(後の昭和天皇)が松山へ行幸した際に2日間滞在したそうです。
設計は、宮廷棟梁の家系で東京帝国大学建築学科を卒業した木子七郎によるもので、舅(妻の父)が愛媛県出身であった関係で、愛媛県庁など県内に他にも建築を残しています。

その後、愛媛県美術館分館郷土美術館として使われましたが、2008年に修復されて、2009年からは展示施設として使われています。
国の文化財指定はありませんが、県の有形文化財に指定されています。
【追補】2011.11に、本館と管理人舎が国の重要文化財に指定されました。

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白いタイル貼りの外壁の建物は、急勾配のスレート葺き屋根の部分には窓が設けられており、当時は物置であった屋根裏部屋を含めて3階建てになっています。
3階は鉄骨の屋根組みがよく見えるそうです(見学には事前連絡が必要)。
正面の他に右側面にもバルコニーが設けられ、尖塔も設けられていることから、右側に力点を置いた造りになっています。

バルコニーは2本の円柱を挟んだ3連アーチで、その間を細かな欄干でつないでいます。
バルコニーの庇下にも緻密にタイルが貼られ、出入り扉の上にはステンドグラスも見えます。

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by okuruma1970y | 2011-02-21 01:07 | 中国四国