日本全国に残る洋館を紹介していきます。
by okuruma1970y
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四階楼(山口)
しばらく空いてしまいましたが、32件目は山口県上関町の擬洋館をご紹介します。
四階楼は、山口県 上関町 室津字築出町(地図)にある迎賓兼宿泊施設で、木造漆喰壁4階建ての建物は明治12(1879)年に建てられました。
本州から九州と四国を望む周防灘と瀬戸内海に突き出た半島の突端の、長島との間の狭い水道に面して建てられており、創建当初の主要運搬手段であった海上交通の要衝に位置していました。
施主は、幕末に騎兵隊の参謀を務め、明治維新後は故郷である上関を中心に船運業や汽船宿を営んでいた小方謙九郎で、棟梁は地元室津の吉﨑治兵衛です。
この四階楼も汽船宿(船運寄港地での宿泊施設)として、また船運荷主などの賓客をもてなす目的で建てられました。
その後、昭和になってからは旅館として営業していましたが、平成3年には営業をやめ、平成11年から保存修理が行なわれました。
平成17年には国の重要文化財に指定され、現在は併設の上関町郷土史学習館とともに、一般に公開されています。
外観は日本古来の土蔵造りですが、天守閣や寺社多重塔の技術があったのか、明治12年にこの地で4階建てが建てられていたとは驚きです。
4階の隅柱には龍が睨みをきかせ、4階と3階の軒には雲のような鏝絵が描かれています。
1~3階には擬洋館らしく隅石が配されていますが、漆喰を浮き上がらせて黒く塗っただけでなく、少々過度に漆喰で細かな凹凸を表現しています。
1階玄関は引き戸ですが、擬洋館らしく2~4階の窓は全て開き戸でになっています。
1~2階と3~4階は軒蛇腹を備えた一般的な庇ですが、2~3階は庇の下に牡丹の鏝絵を描いた雨避けが取り付けられています。
現在は1階玄関(写真右)からの出入りはできませんが、玄関を上がると、アーチ状の梁にドイツ壁のような漆喰天井の畳の間で、右側面(写真奥)から龍の鏝絵が向かえてくれます。
玄関をの奥に進むと、左手に半円を組み合わせた変わった欄間があり、半円の欄間も漆喰細工で作られていますが、この他にも随所に見事な漆喰細工が見られます。
襖の奥には2階への階段が掛けられていますが、1~2階の階段だけがこのように下が空いた構造でした。
2階は襖で仕切られた畳部屋二間で、開き戸であることから擬洋館とわかりますが、室内に目立った装飾はなく、4階の中で一番シンプルです。
室内はシンプルですが、裏手には一本物の丸太梁の庇を備えた外廊下というかベランダというかがあり、突き当たりには便所が設置されています。
1~2階の付け階段とは対照的に、2~3~4階の階段は螺旋状ではないものの、芯柱を中心とした回り階段で昇っていきます。
3階には三間あり、正面から見て左手の間には立体感と躍動感溢れる唐獅子牡丹の見事な鏝絵が描かれています。
右側面には、玄関の天井のような粗い漆喰壁を水色に仕上げています。
正面から見て右手の間は一見シンプルそうに見えますが、左側面にはアーチ状にせり出した部分があり、また天井四隅には植物の枝をモチーフにした立体的というか立体そのものの漆喰細工が取り付けられています。
こちらは椿でしょうか、幹には花が咲き、天井に向けて葉を茂らせた枝が伸びています。
下手に色付けせず、漆喰細工であることを主張しているのが、職人らしいです。
3階の裏手には、茶室のような意匠が随所に見られる数寄屋造りの間があります。
壁を形作る竹の格子を露出させた丸窓や欄間、丸太の表面を活かした床の間の枠飾りなど、狭い部屋ながら至るところに抜かりなく手を掛けています。
そして、4階はこの建物のハイライト、全ての開き戸にステンドグラスを嵌め込んだ大広間で、日の差し込み方によって様々な色に変化します。
天井には鳳凰の見事な漆喰細工が舞っており、感嘆するばかりでした。
見に行ったのは平成23年(2011年)6月(旅行記)でした。
Olympus Pen E-P1(1200万画素)で撮影。
建物の情報や見学案内など、上関町観光協会のHPはこちら。
ホームページ洋館探訪の「山口県の洋館(県東部)」ページはこちら。
四階楼は、山口県 上関町 室津字築出町(地図)にある迎賓兼宿泊施設で、木造漆喰壁4階建ての建物は明治12(1879)年に建てられました。
本州から九州と四国を望む周防灘と瀬戸内海に突き出た半島の突端の、長島との間の狭い水道に面して建てられており、創建当初の主要運搬手段であった海上交通の要衝に位置していました。
施主は、幕末に騎兵隊の参謀を務め、明治維新後は故郷である上関を中心に船運業や汽船宿を営んでいた小方謙九郎で、棟梁は地元室津の吉﨑治兵衛です。
この四階楼も汽船宿(船運寄港地での宿泊施設)として、また船運荷主などの賓客をもてなす目的で建てられました。
その後、昭和になってからは旅館として営業していましたが、平成3年には営業をやめ、平成11年から保存修理が行なわれました。
平成17年には国の重要文化財に指定され、現在は併設の上関町郷土史学習館とともに、一般に公開されています。
外観は日本古来の土蔵造りですが、天守閣や寺社多重塔の技術があったのか、明治12年にこの地で4階建てが建てられていたとは驚きです。
4階の隅柱には龍が睨みをきかせ、4階と3階の軒には雲のような鏝絵が描かれています。
1~3階には擬洋館らしく隅石が配されていますが、漆喰を浮き上がらせて黒く塗っただけでなく、少々過度に漆喰で細かな凹凸を表現しています。
1階玄関は引き戸ですが、擬洋館らしく2~4階の窓は全て開き戸でになっています。
1~2階と3~4階は軒蛇腹を備えた一般的な庇ですが、2~3階は庇の下に牡丹の鏝絵を描いた雨避けが取り付けられています。
現在は1階玄関(写真右)からの出入りはできませんが、玄関を上がると、アーチ状の梁にドイツ壁のような漆喰天井の畳の間で、右側面(写真奥)から龍の鏝絵が向かえてくれます。
玄関をの奥に進むと、左手に半円を組み合わせた変わった欄間があり、半円の欄間も漆喰細工で作られていますが、この他にも随所に見事な漆喰細工が見られます。
襖の奥には2階への階段が掛けられていますが、1~2階の階段だけがこのように下が空いた構造でした。
2階は襖で仕切られた畳部屋二間で、開き戸であることから擬洋館とわかりますが、室内に目立った装飾はなく、4階の中で一番シンプルです。
室内はシンプルですが、裏手には一本物の丸太梁の庇を備えた外廊下というかベランダというかがあり、突き当たりには便所が設置されています。
1~2階の付け階段とは対照的に、2~3~4階の階段は螺旋状ではないものの、芯柱を中心とした回り階段で昇っていきます。
3階には三間あり、正面から見て左手の間には立体感と躍動感溢れる唐獅子牡丹の見事な鏝絵が描かれています。
右側面には、玄関の天井のような粗い漆喰壁を水色に仕上げています。
正面から見て右手の間は一見シンプルそうに見えますが、左側面にはアーチ状にせり出した部分があり、また天井四隅には植物の枝をモチーフにした立体的というか立体そのものの漆喰細工が取り付けられています。
こちらは椿でしょうか、幹には花が咲き、天井に向けて葉を茂らせた枝が伸びています。
下手に色付けせず、漆喰細工であることを主張しているのが、職人らしいです。
3階の裏手には、茶室のような意匠が随所に見られる数寄屋造りの間があります。
壁を形作る竹の格子を露出させた丸窓や欄間、丸太の表面を活かした床の間の枠飾りなど、狭い部屋ながら至るところに抜かりなく手を掛けています。
そして、4階はこの建物のハイライト、全ての開き戸にステンドグラスを嵌め込んだ大広間で、日の差し込み方によって様々な色に変化します。
天井には鳳凰の見事な漆喰細工が舞っており、感嘆するばかりでした。
見に行ったのは平成23年(2011年)6月(旅行記)でした。
Olympus Pen E-P1(1200万画素)で撮影。
建物の情報や見学案内など、上関町観光協会のHPはこちら。
ホームページ洋館探訪の「山口県の洋館(県東部)」ページはこちら。
by okuruma1970y
| 2014-06-13 00:26
| 中国四国