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by okuruma1970y
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弘前市立図書館(青森)
30件目は青森県弘前市の公共施設をご紹介します。
旧弘前市立図書館は、青森県 弘前市 下白銀町(地図)にある旧公共施設で、木造漆喰壁3階建ての建物は、大工棟梁の堀江佐吉によって明治39(1906)年に建てられました。
堀江佐吉は、津軽藩の御用大工の家に生まれ、明治維新後は公共建築などを手掛け、函館・札幌への出稼ぎで洋風建築の建築・設計も吸収し、弘前に洋風建築を広めました。
そして、日露戦争のための軍施設の建築を数多く手掛けて得た利益を元に、他業者と弘前市に寄付したのがこの図書館でした。
日露戦捷弘前市立図書館として使われた後、昭和6年に堀江家に払い下げられ、昭和38年からは集合住宅(アパート)として使われていました。
平成2年に市制100周年記念事業の一環で現在地に移築され、現在は弘前市立郷土文学館として一般に公開されています。
また、平成5年には県重宝に指定されていますが、国の文化財指定はありません。
八角形の2つの塔屋を、3階建ての建物でつないだ面白い構造で、アパート時代は入居希望者が絶えなかったそうです。
建物裏手(下写真)の一部が張り出していますが、1階は館長室、2階は特別閲覧室が設けられていました。
両側に建つ塔屋は鉄板葺きのドームを戴いており、頂部に施された装飾の中心から避雷針が伸びています。
鉄板が菱形に組まれたドーム葺きも美しいです。
現在では3階に昇れないようですが、凝った屋根窓と窓下の装飾を備えた屋根裏のような3階で塔屋の間をつないでいます。
3階=屋根裏の上には柵が設けられていますが、この裏手には扉とハシゴが設けられ、屋根上に昇ることができるようになっています。
眺望よりも、豪雪地帯ゆえに除雪を目的としていたのかも知れません。
白い漆喰壁に緑色に塗られた上げ下げ窓の窓枠や構造木がキレイに映えています。
塔屋の2・3階間の軒下というか胴蛇腹は、持ち送りが付いた上に、その間に装飾が施され特に手が込んでいます。
基礎は石積みで、通気口には軍施設のような星形の紋様の格子になっていましたが、「日露戦捷」という冠が付いたがゆえの紋様なのでしょうか。
出入口は、正面左側の塔屋の方にあり、階段も左側の塔屋に設けられています。
出入口のヒサシも、屋根と共通で赤く塗られ、いいアクセントになっています。
出入口を入ってすぐに1階から2階への階段があり、八角形の塔屋の壁伝いに弧を描きながら昇っていきます。
階段の手摺りはもちろん、天井も明るい色のペンキで塗られ、新しい時代の建物を表しているのと、採光のいい造りと相まって明るい館内に仕上がっています。
同じ階段を上から見下ろしたところ。
芯柱のある螺旋階段でもなく、下から支えるでも上から吊るでもなく、壁から伸びた踏み段同士をつなげることで支えているようです。
写真から推測するに、2階にある普通閲覧室と思われます。
館内で一番大きな部屋ですが、大きな窓に加えて、白い漆喰壁と明るい塗装により、窓から離れていても本を読むことができる明るさを確保しています。
こちらは普通閲覧室に隣接する評議室で、階段室とは反対側、右側の八角形塔屋の2階部分に当たります。
小さな部屋に対して窓が取り囲むように設けられているおかげで、とても明るいです。
出入口から階段で2階に昇ったところに、3階への階段がありますが、ご覧のように細く急な階段で、(少なくとも私が見に行ったときは)公開されておらず、当時も書庫のような屋根裏部屋だったのかも知れません。
現在の所在地は、弘前城のある弘前公園の目の前で、現在の弘前市立図書館に隣接していますが、明治34年に建てられた旧東奥義塾外人教師館(県重宝)も移築復元で併設されています。
この弘前市立図書館は、創建当時は市立東奥義塾(現在は私立)の敷地内に建てられており、その昔を偲ばせる配置とされたのかも知れません。
見に行ったのは平成15年(2003年)4月でした(旅行記)。
Olympus C-3100(300万画素)で撮影。
建物の情報や見学案内など、弘前市のHPはこちら。
ホームページ洋館探訪の「青森県の洋館2(弘前市)」のページはこちら。
旧弘前市立図書館は、青森県 弘前市 下白銀町(地図)にある旧公共施設で、木造漆喰壁3階建ての建物は、大工棟梁の堀江佐吉によって明治39(1906)年に建てられました。
堀江佐吉は、津軽藩の御用大工の家に生まれ、明治維新後は公共建築などを手掛け、函館・札幌への出稼ぎで洋風建築の建築・設計も吸収し、弘前に洋風建築を広めました。
そして、日露戦争のための軍施設の建築を数多く手掛けて得た利益を元に、他業者と弘前市に寄付したのがこの図書館でした。
日露戦捷弘前市立図書館として使われた後、昭和6年に堀江家に払い下げられ、昭和38年からは集合住宅(アパート)として使われていました。
平成2年に市制100周年記念事業の一環で現在地に移築され、現在は弘前市立郷土文学館として一般に公開されています。
また、平成5年には県重宝に指定されていますが、国の文化財指定はありません。
八角形の2つの塔屋を、3階建ての建物でつないだ面白い構造で、アパート時代は入居希望者が絶えなかったそうです。
建物裏手(下写真)の一部が張り出していますが、1階は館長室、2階は特別閲覧室が設けられていました。
両側に建つ塔屋は鉄板葺きのドームを戴いており、頂部に施された装飾の中心から避雷針が伸びています。
鉄板が菱形に組まれたドーム葺きも美しいです。
現在では3階に昇れないようですが、凝った屋根窓と窓下の装飾を備えた屋根裏のような3階で塔屋の間をつないでいます。
3階=屋根裏の上には柵が設けられていますが、この裏手には扉とハシゴが設けられ、屋根上に昇ることができるようになっています。
眺望よりも、豪雪地帯ゆえに除雪を目的としていたのかも知れません。
白い漆喰壁に緑色に塗られた上げ下げ窓の窓枠や構造木がキレイに映えています。
塔屋の2・3階間の軒下というか胴蛇腹は、持ち送りが付いた上に、その間に装飾が施され特に手が込んでいます。
基礎は石積みで、通気口には軍施設のような星形の紋様の格子になっていましたが、「日露戦捷」という冠が付いたがゆえの紋様なのでしょうか。
出入口は、正面左側の塔屋の方にあり、階段も左側の塔屋に設けられています。
出入口のヒサシも、屋根と共通で赤く塗られ、いいアクセントになっています。
出入口を入ってすぐに1階から2階への階段があり、八角形の塔屋の壁伝いに弧を描きながら昇っていきます。
階段の手摺りはもちろん、天井も明るい色のペンキで塗られ、新しい時代の建物を表しているのと、採光のいい造りと相まって明るい館内に仕上がっています。
同じ階段を上から見下ろしたところ。
芯柱のある螺旋階段でもなく、下から支えるでも上から吊るでもなく、壁から伸びた踏み段同士をつなげることで支えているようです。
写真から推測するに、2階にある普通閲覧室と思われます。
館内で一番大きな部屋ですが、大きな窓に加えて、白い漆喰壁と明るい塗装により、窓から離れていても本を読むことができる明るさを確保しています。
こちらは普通閲覧室に隣接する評議室で、階段室とは反対側、右側の八角形塔屋の2階部分に当たります。
小さな部屋に対して窓が取り囲むように設けられているおかげで、とても明るいです。
出入口から階段で2階に昇ったところに、3階への階段がありますが、ご覧のように細く急な階段で、(少なくとも私が見に行ったときは)公開されておらず、当時も書庫のような屋根裏部屋だったのかも知れません。
現在の所在地は、弘前城のある弘前公園の目の前で、現在の弘前市立図書館に隣接していますが、明治34年に建てられた旧東奥義塾外人教師館(県重宝)も移築復元で併設されています。
この弘前市立図書館は、創建当時は市立東奥義塾(現在は私立)の敷地内に建てられており、その昔を偲ばせる配置とされたのかも知れません。
見に行ったのは平成15年(2003年)4月でした(旅行記)。
Olympus C-3100(300万画素)で撮影。
建物の情報や見学案内など、弘前市のHPはこちら。
ホームページ洋館探訪の「青森県の洋館2(弘前市)」のページはこちら。
by okuruma1970y
| 2013-04-28 16:56
| 東北