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開智学校(長野)
またまた空いてしまいましたが、26件目は長野県松本市の学校をご紹介します。
旧開智学校は、長野県 松本市 開智(地図)にある学校で、木造漆喰壁2階建ての建物は明治9(1876)年に建てられました。
当初は女鳥羽川畔に建っており、昭和38年まで小学校として使われていたそうです。
その後、昭和39年に現在地に移築され、現在は教育博物館として一般に公開されています。
工事費は約1万1千円とのことですが、教育を重んじる県らしく、うち約7割は松本町民の寄附によって集められたそうです。
大工棟梁・立石清重(たていしせいじゅう)によって建てられ、建築に先立って東京や横浜の洋館を見て回り参考にしたようです。
昭和36年に重要文化財に指定されています。
【追補】2019年には、洋風建築としては大浦天主堂と迎賓館(旧東宮御所)に次いで、国宝に指定されました。
外壁は、日本古来の蔵造りに多く見られる漆喰壁で、職人の漆喰細工により、水切りのための軒蛇腹(屋根下の段々部分)や胴蛇腹(1・2階間の段々部分)が巡らされています。
また、天守閣などの城郭建築の堅牢さをイメージさせるためか、建物下部には石積みのように漆喰で細工されています。
窓には、当時としてはかなり高価なガラスが使われていますが、風雨への備えか、防犯上の備えか、全ての窓にペンキで赤く縁取られた開き戸の雨戸が設けられています。
背面はすっきりシンプルな構造。
四隅には、堅牢な石積みをイメージさせる隅石と呼ばれる装飾が、漆喰で施されています。
建物の中央頂部には、八角形の塔屋が設けられています。
このような擬洋風の学校建築に多く見られますが、授業の開始と終了を知らせる太鼓が吊されていたようで、太鼓楼とも呼ばれています。
正面中央には玄関ポーチがありますが、寺院建築の破風にあるような雲や龍を模した見事な彫刻が施されています。
本格的な洋風建築には見られない装飾ですが、これが明治初期に建てられた擬洋風建築の特徴というか、大工棟梁の頑張ったところです。
その上で、「開智学校」と彫られた看板を掲げるのは、天使と思われるモチーフ。
雲や龍といった日本古来の建築とは一線を画し、東京や横浜の洋館の影響を受けて、西欧のキリスト教文化を模しつつも似て非なる、擬洋風の真骨頂です。
正面右端にある出入口から入ると、階段の手摺りは渦を巻いた装飾。
日本古来の龍や波の装飾が施された扉を開けると、柱と手摺りで仕切られた講堂がありました。
手摺りは単なる寸胴の丸棒ではなく、瓢簞状というか、階段の手摺りしかり、くびれがある装飾が施された、手の込んだものです。
壁の一部にはガラス窓が見えますが、外から見えた通り、外には風雨を防ぐ板戸が設けられています。
講堂の天井には、照明のために凹んだ部分があり、内部にも手抜かりなく漆喰細工が施されています。
そして、2階中央の玄関ポーチ上部には、アーチ窓を備えた扉が設けられ、アーチ窓にはギアマンと呼ばれた色ガラスがはめ込まれていました。
ギアマンも、明治初期の擬洋風建築でよく見られる装飾の一つです。
見に行ったのは平成14年(2002年)4月と15年(2003年)8月でした。
Fujifilm FinePix4500(240万画素)およびNikon Coolpix E-5000(500万画素)で撮影。
開智学校のHPはこちら。
ホームページ洋館探訪の「長野の洋館(松本市)」ページはこちら。
旧開智学校は、長野県 松本市 開智(地図)にある学校で、木造漆喰壁2階建ての建物は明治9(1876)年に建てられました。
当初は女鳥羽川畔に建っており、昭和38年まで小学校として使われていたそうです。
その後、昭和39年に現在地に移築され、現在は教育博物館として一般に公開されています。
工事費は約1万1千円とのことですが、教育を重んじる県らしく、うち約7割は松本町民の寄附によって集められたそうです。
大工棟梁・立石清重(たていしせいじゅう)によって建てられ、建築に先立って東京や横浜の洋館を見て回り参考にしたようです。
【追補】2019年には、洋風建築としては大浦天主堂と迎賓館(旧東宮御所)に次いで、国宝に指定されました。
外壁は、日本古来の蔵造りに多く見られる漆喰壁で、職人の漆喰細工により、水切りのための軒蛇腹(屋根下の段々部分)や胴蛇腹(1・2階間の段々部分)が巡らされています。
また、天守閣などの城郭建築の堅牢さをイメージさせるためか、建物下部には石積みのように漆喰で細工されています。
窓には、当時としてはかなり高価なガラスが使われていますが、風雨への備えか、防犯上の備えか、全ての窓にペンキで赤く縁取られた開き戸の雨戸が設けられています。
背面はすっきりシンプルな構造。
四隅には、堅牢な石積みをイメージさせる隅石と呼ばれる装飾が、漆喰で施されています。
建物の中央頂部には、八角形の塔屋が設けられています。
このような擬洋風の学校建築に多く見られますが、授業の開始と終了を知らせる太鼓が吊されていたようで、太鼓楼とも呼ばれています。
正面中央には玄関ポーチがありますが、寺院建築の破風にあるような雲や龍を模した見事な彫刻が施されています。
本格的な洋風建築には見られない装飾ですが、これが明治初期に建てられた擬洋風建築の特徴というか、大工棟梁の頑張ったところです。
その上で、「開智学校」と彫られた看板を掲げるのは、天使と思われるモチーフ。
雲や龍といった日本古来の建築とは一線を画し、東京や横浜の洋館の影響を受けて、西欧のキリスト教文化を模しつつも似て非なる、擬洋風の真骨頂です。
正面右端にある出入口から入ると、階段の手摺りは渦を巻いた装飾。
日本古来の龍や波の装飾が施された扉を開けると、柱と手摺りで仕切られた講堂がありました。
手摺りは単なる寸胴の丸棒ではなく、瓢簞状というか、階段の手摺りしかり、くびれがある装飾が施された、手の込んだものです。
壁の一部にはガラス窓が見えますが、外から見えた通り、外には風雨を防ぐ板戸が設けられています。
講堂の天井には、照明のために凹んだ部分があり、内部にも手抜かりなく漆喰細工が施されています。
そして、2階中央の玄関ポーチ上部には、アーチ窓を備えた扉が設けられ、アーチ窓にはギアマンと呼ばれた色ガラスがはめ込まれていました。
ギアマンも、明治初期の擬洋風建築でよく見られる装飾の一つです。
見に行ったのは平成14年(2002年)4月と15年(2003年)8月でした。
Fujifilm FinePix4500(240万画素)およびNikon Coolpix E-5000(500万画素)で撮影。
開智学校のHPはこちら。
ホームページ洋館探訪の「長野の洋館(松本市)」ページはこちら。
by okuruma1970y
| 2012-10-08 00:27
| 関東甲信越