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by okuruma1970y
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青木周蔵那須別邸(栃木)
24件目は栃木県那須塩原市の個人住宅をご紹介します。
旧青木周蔵那須別荘は、栃木県 那須塩原市 青木(地図)にある個人住宅(別荘)で、木造スレート貼り2階建ての建物は明治21(1888)年に建てられ、その後の増築を経て明治42(1909)年に現在の形になりました。
この那須別邸は、明治中期に伊藤博文を始めとした明治の元勲が開拓した農場の一つとして、青木周蔵が開いた青木農場内に建てられた別荘でした。
青木周蔵は、ドイツ留学の後に外務省に入省し、駐独公使や外務大臣、駐米大使を務めた外交官で、留学や赴任を通してドイツと関係が深く、駐独公使在任中にドイツ貴族の令嬢・エリザベートと結婚したことなどから、ドイツ翁とも呼ばれていたそうです。
設計は、ドイツで建築を学んだ松ヶ崎萬長(まつがさき つむなが)で、公家の家系ということもあってか男爵も授与されていました(後に返上)。
松ヶ崎が設計した建物は、台湾の新竹駅舎など国外には現存しているものの、この那須別邸は国内に現存する唯一のものです。
現在は国の重要文化財に指定され、当初の場所から50mほど移されて、道の駅「明治の森・黒磯」内で一般に公開されています。
増築を経ていることもあってか、平面的にも屋根構造も複雑で、南東の杉並木に面した付屋には、2階建ての居室スペースがあります。
雪への備えなのか窓にはヨロイ戸が付いていますが、2階のアーチ窓にはアーチ窓に沿って張り出した覆いも取り付けられています。
手の込んだこのスレート形状は、蔦(つた)形というようです。
2階建て居住スペースの真裏はそのまま通じていて、ちょっと奥まったテラスの裏手は石積み風の半地下がある平屋になっています。
こちら側のスレート形状は、よく見られるウロコ状。
石積み部分の窓(現在は金網が取り付けられています)から半地下の中を覗くと、木組みの基礎が見えますが、開拓・農耕用資材を納める物置のように使われていたのかな。
裏手の中央部ですが、左右非対称なので付屋の形状は異なるものの、中央部は1・2階にベランダがあって、屋根窓があるという構造は正面と同じです。
ヨロイ戸は防犯上のものだったのか、取り付けられているのは1階だけですね。
屋根上には、暖炉から伸びている煙突が見えます。
建物を斜めから眺めると、構造の複雑さというか、多様性というかが見えてきます。
正面右側の付屋には屋根裏部屋があり、暖炉も備えられています。
曲がりくねったスロープの先は、庭側にあるテラスに通じており、現在はここが見学の入口になっています。
この地域の冬は相当冷え込むのだと思いますが、このようにテラスを設けているあたり、夏場の避暑を目的としているように見えます。
現在の見学用入口とは異なりますが、こちらが正面入口の扉。
両開きにアーチの上窓が付いた扉からは、通りへのアプローチである杉並木が見えています。
東北本線は明治19年に黒磯駅まで開通していたので、この別荘(明治21年建築)へは、汽車に乗ってきて、駅からは馬車で訪れていたのでしょう。
正面入口はお約束の階段室になっていますが、ことさら階段を強調した配置にはなっておらず、優美というよりは実用的な、比較的急な階段になっています。
ただ、支柱がなく壁で支持している階段であるところに、こだわりを感じます。
1階から2階への階段を昇ると、3階というか中央部屋根裏への階段に続いています。
優美というよりは実用的と書きましたが、2階部分にはアーチの上仕切りを設けており、階段部分を仕切りつつ、見通しよい空間に仕上げています。
しかも、写真中央部では手すりとして止めて、天井からも上仕切りの骨で止めており、柱としてつなげていないところに、広い空間に仕上げたかった意図が見えるように思いました。
1階はもちろん、2階でも何室か見ているはずですが、まともに撮っていたのはこの和室のみ。
窓の形を見てわかるように、外から見てアーチ窓に覆いが付いた部分に当たりますが、外観から窺えた雰囲気と、畳の部屋にギャップがあります。
開き窓の上にアーチ窓を設けて採光を良くしているものの、アーチ窓が天井の上になってしまったので、その部分だけ天井をくり抜いているのが何とも・・・。
当初は屋根組が露出した洋室だったものを、和室に改装して天井を設けたのかな。
見に行ったのは平成17年(2005年)11月でした。
Nikon Coolpix E-5000(500万画素)で撮影。
ホームページ洋館探訪の「栃木の洋館」ページはこちら(本館は未反映)。
旧青木周蔵那須別荘は、栃木県 那須塩原市 青木(地図)にある個人住宅(別荘)で、木造スレート貼り2階建ての建物は明治21(1888)年に建てられ、その後の増築を経て明治42(1909)年に現在の形になりました。
この那須別邸は、明治中期に伊藤博文を始めとした明治の元勲が開拓した農場の一つとして、青木周蔵が開いた青木農場内に建てられた別荘でした。
青木周蔵は、ドイツ留学の後に外務省に入省し、駐独公使や外務大臣、駐米大使を務めた外交官で、留学や赴任を通してドイツと関係が深く、駐独公使在任中にドイツ貴族の令嬢・エリザベートと結婚したことなどから、ドイツ翁とも呼ばれていたそうです。
設計は、ドイツで建築を学んだ松ヶ崎萬長(まつがさき つむなが)で、公家の家系ということもあってか男爵も授与されていました(後に返上)。
松ヶ崎が設計した建物は、台湾の新竹駅舎など国外には現存しているものの、この那須別邸は国内に現存する唯一のものです。
現在は国の重要文化財に指定され、当初の場所から50mほど移されて、道の駅「明治の森・黒磯」内で一般に公開されています。
増築を経ていることもあってか、平面的にも屋根構造も複雑で、南東の杉並木に面した付屋には、2階建ての居室スペースがあります。
雪への備えなのか窓にはヨロイ戸が付いていますが、2階のアーチ窓にはアーチ窓に沿って張り出した覆いも取り付けられています。
手の込んだこのスレート形状は、蔦(つた)形というようです。
2階建て居住スペースの真裏はそのまま通じていて、ちょっと奥まったテラスの裏手は石積み風の半地下がある平屋になっています。
こちら側のスレート形状は、よく見られるウロコ状。
石積み部分の窓(現在は金網が取り付けられています)から半地下の中を覗くと、木組みの基礎が見えますが、開拓・農耕用資材を納める物置のように使われていたのかな。
裏手の中央部ですが、左右非対称なので付屋の形状は異なるものの、中央部は1・2階にベランダがあって、屋根窓があるという構造は正面と同じです。
ヨロイ戸は防犯上のものだったのか、取り付けられているのは1階だけですね。
屋根上には、暖炉から伸びている煙突が見えます。
建物を斜めから眺めると、構造の複雑さというか、多様性というかが見えてきます。
正面右側の付屋には屋根裏部屋があり、暖炉も備えられています。
曲がりくねったスロープの先は、庭側にあるテラスに通じており、現在はここが見学の入口になっています。
この地域の冬は相当冷え込むのだと思いますが、このようにテラスを設けているあたり、夏場の避暑を目的としているように見えます。
現在の見学用入口とは異なりますが、こちらが正面入口の扉。
両開きにアーチの上窓が付いた扉からは、通りへのアプローチである杉並木が見えています。
東北本線は明治19年に黒磯駅まで開通していたので、この別荘(明治21年建築)へは、汽車に乗ってきて、駅からは馬車で訪れていたのでしょう。
正面入口はお約束の階段室になっていますが、ことさら階段を強調した配置にはなっておらず、優美というよりは実用的な、比較的急な階段になっています。
ただ、支柱がなく壁で支持している階段であるところに、こだわりを感じます。
1階から2階への階段を昇ると、3階というか中央部屋根裏への階段に続いています。
優美というよりは実用的と書きましたが、2階部分にはアーチの上仕切りを設けており、階段部分を仕切りつつ、見通しよい空間に仕上げています。
しかも、写真中央部では手すりとして止めて、天井からも上仕切りの骨で止めており、柱としてつなげていないところに、広い空間に仕上げたかった意図が見えるように思いました。
1階はもちろん、2階でも何室か見ているはずですが、まともに撮っていたのはこの和室のみ。
窓の形を見てわかるように、外から見てアーチ窓に覆いが付いた部分に当たりますが、外観から窺えた雰囲気と、畳の部屋にギャップがあります。
開き窓の上にアーチ窓を設けて採光を良くしているものの、アーチ窓が天井の上になってしまったので、その部分だけ天井をくり抜いているのが何とも・・・。
当初は屋根組が露出した洋室だったものを、和室に改装して天井を設けたのかな。
見に行ったのは平成17年(2005年)11月でした。
Nikon Coolpix E-5000(500万画素)で撮影。
ホームページ洋館探訪の「栃木の洋館」ページはこちら(本館は未反映)。
by okuruma1970y
| 2012-01-29 11:23
| 関東甲信越