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旧渡辺甚吉邸(東京)
またまた間が空いてしまいましたが、20件目は東京都港区の個人住宅をご紹介します。
旧渡辺甚吉邸は、東京都 港区 白金台(地図)にある元個人住宅で、木造2階建ての建物は、昭和9(1934)年に建てられました。
渡辺甚吉氏が、大学卒業後に建築家の遠藤健三氏を伴って訪欧し、イングランドで見たチューダー様式に強い印象を持って帰国し、京都の下村邸(大丸ヴィラ)を参考に新築したそうです。
このお屋敷は、岐阜の実業家・渡辺甚吉氏の邸宅として昭和9年に建てられ、スリランカ大使館に使われた後、昨年(2010年)5月からハウスウエディング会場「白金甚夢迎賓館」として使われるようになりました。
ちなみにこのお屋敷を建てた渡辺甚吉氏(渡辺家12代目・1906〜1972年)は、岐阜の地方銀行・第十六銀行の初代頭取を務めた渡辺甚吉氏(渡辺家10代目・1856〜1925年)の孫ではないかと思われます。
名家・旧家ではよくあるのでしょうが、祖父と孫が同じ名前だったからか、大学卒業後に欧州周遊で見聞を広めて家を建てたという説明と、第十六銀行初代頭取の東京別邸という説明が、ごちゃ混ぜになっているようです。
岐阜新聞のHPに、第十六銀行と渡辺甚吉氏に関する記事がありました(上、中、下)。
チューダー様式というらしい、山小屋のようなというか手斧削り仕上げが特徴。
1階左手の応接室は暖炉があり、現在はチャペルとして使われている重厚な空間でした。
岐阜出身の施主が郷里を思い起こすためか、暖炉の上には鵜飼いを表したようなタイル画が貼られていました。
1階メインダイニングの天井は、奥行きがありながら薄く繊細で見事な漆喰細工。
1階トイレは、全面タイル貼り。
一般的に水回り用に用いられる平滑なタイルではなく、凹凸というか表情のあるタイルです。
2階への階段踊り場にある、手すりの装飾も手が込んでいます。
また、柱や梁にも抜かりなく彫刻が施され、強いこだわりが感じられます。
玄関吹き抜けの上、2階廊下の目線には、ステンドグラスがはめ込まれていました。
館内はスチーム暖房が設置されており、2階廊下というかフリースペースには、手の込んだラジエターグリルが設けられていました。
2階にある寝室は、漆喰細工でロココ調に仕上げられていました。
扉が四角ではなく上部が弧を描いていたり、廊下の仕切りもアーチ状になっていたり、と手が込んでいました。
思わず唸ってしまったのが、寝室にある作り付けの飾り棚。
全体的には扉と同じ形状にまとめられていますが、上部が優美な曲線の桟を持つ飾り棚、下部はスチーム暖房のラジエターグリル、という機能も備えたものでした。
ドアノブはオリジナルで、考現学者の今和次郎がデザインしたもの。
灯具のスイッチ盤も、今和次郎のオリジナルデザイン。
葡萄のようなツタのような柄に、凹凸のある盤面。
当初からペンキが塗ってあったのか、本当は真鍮剥き出しだったようにも見えます。
館内のガラスは、見通すための透明ガラスのほか、すりガラス代わりなのか少し紫がかった半透明のガラス(キレイ!)が、ところどころにはめ込まれていました。
現在はハウスウエディングの会場として使われています。
今回は、古い建物好きの友人夫婦がこちらで結婚式を挙げられ、うれしいことにご招待いただいたので、思う存分堪能させてもらいました。
この建物の生い立ちなどについては、建築探偵の冒険に面白おかしく書かれています。
見に行ったのは平成23年(2011年)10月でした。
Olympus Pen E-P1(1,200万画素)で撮影。
ホームページ洋館探訪の「東京の洋館」ページはこちら。
旧渡辺甚吉邸は、東京都 港区 白金台(地図)にある元個人住宅で、木造2階建ての建物は、昭和9(1934)年に建てられました。
渡辺甚吉氏が、大学卒業後に建築家の遠藤健三氏を伴って訪欧し、イングランドで見たチューダー様式に強い印象を持って帰国し、京都の下村邸(大丸ヴィラ)を参考に新築したそうです。
このお屋敷は、岐阜の実業家・渡辺甚吉氏の邸宅として昭和9年に建てられ、スリランカ大使館に使われた後、昨年(2010年)5月からハウスウエディング会場「白金甚夢迎賓館」として使われるようになりました。
ちなみにこのお屋敷を建てた渡辺甚吉氏(渡辺家12代目・1906〜1972年)は、岐阜の地方銀行・第十六銀行の初代頭取を務めた渡辺甚吉氏(渡辺家10代目・1856〜1925年)の孫ではないかと思われます。
名家・旧家ではよくあるのでしょうが、祖父と孫が同じ名前だったからか、大学卒業後に欧州周遊で見聞を広めて家を建てたという説明と、第十六銀行初代頭取の東京別邸という説明が、ごちゃ混ぜになっているようです。
岐阜新聞のHPに、第十六銀行と渡辺甚吉氏に関する記事がありました(上、中、下)。
チューダー様式というらしい、山小屋のようなというか手斧削り仕上げが特徴。
玄関は吹き抜けになっていましたが、階段室はなく、2階へは右手のアーチをくぐって階段を昇っていきます。
1階左手の応接室は暖炉があり、現在はチャペルとして使われている重厚な空間でした。
岐阜出身の施主が郷里を思い起こすためか、暖炉の上には鵜飼いを表したようなタイル画が貼られていました。
1階メインダイニングの天井は、奥行きがありながら薄く繊細で見事な漆喰細工。
1階トイレは、全面タイル貼り。
一般的に水回り用に用いられる平滑なタイルではなく、凹凸というか表情のあるタイルです。
2階への階段踊り場にある、手すりの装飾も手が込んでいます。
また、柱や梁にも抜かりなく彫刻が施され、強いこだわりが感じられます。
玄関吹き抜けの上、2階廊下の目線には、ステンドグラスがはめ込まれていました。
館内はスチーム暖房が設置されており、2階廊下というかフリースペースには、手の込んだラジエターグリルが設けられていました。
2階にある寝室は、漆喰細工でロココ調に仕上げられていました。
扉が四角ではなく上部が弧を描いていたり、廊下の仕切りもアーチ状になっていたり、と手が込んでいました。
思わず唸ってしまったのが、寝室にある作り付けの飾り棚。
全体的には扉と同じ形状にまとめられていますが、上部が優美な曲線の桟を持つ飾り棚、下部はスチーム暖房のラジエターグリル、という機能も備えたものでした。
ドアノブはオリジナルで、考現学者の今和次郎がデザインしたもの。
灯具のスイッチ盤も、今和次郎のオリジナルデザイン。
葡萄のようなツタのような柄に、凹凸のある盤面。
当初からペンキが塗ってあったのか、本当は真鍮剥き出しだったようにも見えます。
館内のガラスは、見通すための透明ガラスのほか、すりガラス代わりなのか少し紫がかった半透明のガラス(キレイ!)が、ところどころにはめ込まれていました。
現在はハウスウエディングの会場として使われています。
今回は、古い建物好きの友人夫婦がこちらで結婚式を挙げられ、うれしいことにご招待いただいたので、思う存分堪能させてもらいました。
この建物の生い立ちなどについては、建築探偵の冒険に面白おかしく書かれています。
【追補】2018年11月に解体前見学会が行なわれ、前田建設によって部材解体保管されました。
見に行ったのは平成23年(2011年)10月でした。
Olympus Pen E-P1(1,200万画素)で撮影。
ホームページ洋館探訪の「東京の洋館」ページはこちら。
by okuruma1970y
| 2011-10-16 18:42
| 東京横浜