日本全国に残る洋館を紹介していきます。
by okuruma1970y
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仁風閣(鳥取)
7件目は、鳥取県の本格洋風建築をご紹介します。
仁風閣は、鳥取県 鳥取市 東町(地図)にある本格洋風建築で、木造2階建ての建物は、明治40(1907)年に建てられました。
明治40年に皇太子殿下(後の大正天皇)が山陰地方へ行幸する際の鳥取での宿舎として、元藩主家の池田仲博侯爵が建てました。
旧東宮御所(現在の迎賓館)など多くの皇室建築を手がけた片山東熊によって設計され、皇太子に随行した海軍大将・東郷平八郎により命名されました。
池田家から鳥取県に寄贈され、戦後は県立科学博物館として使われた後、鳥取市へ譲渡された際に重要文化財に指定され、現在は一般に公開されています。
建物裏側にある回遊池泉式庭園は、幕末の藩主が先代の未亡人(宝隆院)を慰めるために造営したもので、宝隆院庭園と名付けられているそうです。
正面玄関の玄関ポーチや扉の装飾は非常に少なくシンプルですが、2階軒上のアーチ状破風や屋根上の煙突など、建物全体で白亜の豪邸のような優雅さを醸し出しています。
もう一つの外観の華は、尖塔を戴いた八角形の階段室。
他の屋根は瓦葺きであるのに対して、この尖塔だけは緑青銅板葺きなのか、はたまたスレート葺きに尖塔先端部などの銅製金具の緑青が移ったのか、ともあれ違った雰囲気に仕上がっています。
下見板貼りと書いてある本もありましたが、凹凸が目立たない横羽目板張りのようですね。
庭園に面した背面は、1階がバルコニー、2階は一面ガラス張りで外廊下がサンルーム的な構造になっています。
三角破風が付いた中央部が張り出していて、外観に抑揚を付けていますが、2階中央部が謁見所になっていたそうです。
裏山の鳥取城址から見下ろすと、単なる寄棟造りではない変化ある屋根構造と、暖炉の煙突(見えないものも含めて6本)や丸い通気口などの屋根上の華も、よく見ることができました。
八角形の尖塔内部には、支柱がない優美な螺旋階段が設けられていましたが、実は使用人が昇降する裏階段だったようです。
螺旋階段を2階から見下ろすと、見上げたときほど急曲線ではありませんが、内側は曲線を描いているものの、外側は八角形の壁に取り付いて角々していました。
現在(見に行った当時)は螺旋階段は使用できず、玄関脇の階段で昇るようになっていました。
洋館では、階段室を建物の目玉にすることが多いのですが、この建物では控えめ。
階段を昇った左手、御寝室の手前には円柱が立っており、権威付けされているようでもありました。
階段正面、写真の右手には「閣」と描かれた額が見えますが、これは東郷平八郎による「仁風閣」命名の揮毫。
見に行ったのは平成14年(2002年)のGWで、東京を未明3時に出発したものの、到着は閉館(17時)の15分前になってしまい、慌てて見て回ったため写真は少ないし、外観も塀の外からのものが多くなってしまいました。
またしっかり見に行きたいものです。
Fujifilm FinePix4500(240万画素)で撮影。
仁風閣のHPはこちら。
ホームページ洋館探訪の「鳥取県の洋館」ページはこちら。
仁風閣は、鳥取県 鳥取市 東町(地図)にある本格洋風建築で、木造2階建ての建物は、明治40(1907)年に建てられました。
明治40年に皇太子殿下(後の大正天皇)が山陰地方へ行幸する際の鳥取での宿舎として、元藩主家の池田仲博侯爵が建てました。
旧東宮御所(現在の迎賓館)など多くの皇室建築を手がけた片山東熊によって設計され、皇太子に随行した海軍大将・東郷平八郎により命名されました。
池田家から鳥取県に寄贈され、戦後は県立科学博物館として使われた後、鳥取市へ譲渡された際に重要文化財に指定され、現在は一般に公開されています。
建物裏側にある回遊池泉式庭園は、幕末の藩主が先代の未亡人(宝隆院)を慰めるために造営したもので、宝隆院庭園と名付けられているそうです。
正面玄関の玄関ポーチや扉の装飾は非常に少なくシンプルですが、2階軒上のアーチ状破風や屋根上の煙突など、建物全体で白亜の豪邸のような優雅さを醸し出しています。
もう一つの外観の華は、尖塔を戴いた八角形の階段室。
他の屋根は瓦葺きであるのに対して、この尖塔だけは緑青銅板葺きなのか、はたまたスレート葺きに尖塔先端部などの銅製金具の緑青が移ったのか、ともあれ違った雰囲気に仕上がっています。
下見板貼りと書いてある本もありましたが、凹凸が目立たない横羽目板張りのようですね。
庭園に面した背面は、1階がバルコニー、2階は一面ガラス張りで外廊下がサンルーム的な構造になっています。
三角破風が付いた中央部が張り出していて、外観に抑揚を付けていますが、2階中央部が謁見所になっていたそうです。
裏山の鳥取城址から見下ろすと、単なる寄棟造りではない変化ある屋根構造と、暖炉の煙突(見えないものも含めて6本)や丸い通気口などの屋根上の華も、よく見ることができました。
八角形の尖塔内部には、支柱がない優美な螺旋階段が設けられていましたが、実は使用人が昇降する裏階段だったようです。
螺旋階段を2階から見下ろすと、見上げたときほど急曲線ではありませんが、内側は曲線を描いているものの、外側は八角形の壁に取り付いて角々していました。
現在(見に行った当時)は螺旋階段は使用できず、玄関脇の階段で昇るようになっていました。
洋館では、階段室を建物の目玉にすることが多いのですが、この建物では控えめ。
階段を昇った左手、御寝室の手前には円柱が立っており、権威付けされているようでもありました。
階段正面、写真の右手には「閣」と描かれた額が見えますが、これは東郷平八郎による「仁風閣」命名の揮毫。
見に行ったのは平成14年(2002年)のGWで、東京を未明3時に出発したものの、到着は閉館(17時)の15分前になってしまい、慌てて見て回ったため写真は少ないし、外観も塀の外からのものが多くなってしまいました。
またしっかり見に行きたいものです。
Fujifilm FinePix4500(240万画素)で撮影。
仁風閣のHPはこちら。
ホームページ洋館探訪の「鳥取県の洋館」ページはこちら。
by okuruma1970y
| 2011-02-13 12:19
| 中国四国